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2004年08月15日

二人のリーダーについて考える

週末に二人の日本のリーダーの行動をニュースで見て、考察したことを書きます。

一つは巨人オーナーのナベツネさんが辞任するというニュース。辞任のきっかけは巨人軍のアマチュア選手に対する接触方法に不適切さがあったことだが、球団再編問題も背景としてあるだろう。 球団再編問題についていえば、選手にも責任はある。 FA制のおかげで、給料は高額になり、戦力均衡も考えずに巨人に行きたがる選手が多くなった。 選手達は、これらの行動をあらためる姿勢を示さないまま、一リーグ制に反対している。 ナベツネさんからしてみれば、「お前ら、なに言ってやがんだ」という心情だろう。 こういう状況で、孤高のリーダ役がばかばかしくなったのだろう。

ナベツネさんがリーダとして大衆に受け入れられないのは、同時にエゴの強さが目立つからだろう。 「戦力均衡も考えずに強い選手を片っ端から引っ張る」、というのがその行動例だ。 ただ、一つ論点としたいのは、 エゴがないのに統率力・行動力のあるリーダーって実在するのだろうかということだ。 理屈上はありえるのだろうが、現実にはみたことがない。  強いリーダには多少のエゴがつきものと思って、我々はリーダーを受け入れていく必要があるのでは? という気がしている。 

今回のナベツネさんの辞任は、エゴからの解放と同時にリーダシップの喪失でもある。 私の経験でも、エゴが強いリーダが抜けた後の組織では、一時的には共和国的ムードが盛り上がるが、 集団指導体制のもとで変革に必要な大胆な決断ができなくなる 。 結果として、ゆるやかな低落への道をたどることが多い。 プロ野球界も協和的ムードのなかで変革できないかもしれない、と危惧してしまう。

もう一つは小泉さんが金メダルを獲った谷亮子選手と野村選手に電話したというニュース。 別に、「あー、また人気取りでしょ」なんて言うつもりは毛頭ありません。 むしろ、考えてしまったのは、 組織秩序への配慮 だ。 組織ルールを重んじる官僚的な人たちはきっと、「他の人が金メダルを獲っても祝辞を送るのか。 祝辞を送る場合と送らない場合とを分ける明確な基準はあるのか。 明確な基準がないのでは、不公平にならないか」と苦言を呈するだろうと思う。 小泉さんの場合は、この種の懸念を無視して感情をストレートに表現する行動や直感的行動が目立つ。 しかし、これは小泉さんの人気にもつながっている。  組織秩序への影響を配慮し感情が見えないリーダになるよりも、多少感情をストレートに表現するリーダの方がよいのかもしれない ということを感じた。 オリンピック選手への祝辞は政治外の話だから、組織秩序よりも感情を表現することを選択してよいだろう。 そんなことまで考えながら行動しているのであれば、小泉さんというのはそうとうバランスのよいリーダなのだろう。

投稿者 motlab : 2004年08月15日 19:32

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